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三鷹のファイナンシャルプランナー、いのいのです。
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Posted by たまりば運営事務局 at

2012年02月01日

幸せの総量



最近、幸福の総量という、少し前に読んだ本の思想について考えることがあります。
つまり、人生を通して幸せ度の量感は変わらないのではないと。
そこから少し展開すると、誰でも等しく変わらないものであって欲しいと願ってます。

幸福を感じる尺度は、人によって、またそのタイミングによって違うと思います。
日常の中では実感できないこと、考え方を変えれば気づくこと、
気付いたことで幸せを実感できる人、不幸にも実感できないままでいる人、
それは様々でしょう。
ただ、幸せの量が変わらないという前提を自分で創ってしまえば、
あとは考え方ひとつで、いかようにも生活は変えられる気がします・・・。

例えば、
気のおけない友人が増えていることへの喜び。
ただ、そこには自分だけの時間を減らしたり、
自分が原因ではないのに哀しい事態にあってしまう機会を増やすかもしれません。
自分が良かれと思って、ある人に光を当てた結果、
その影になってしまっている人をつくっていると気付いた時には、
この上ない挫折を感じることもあるかもしれません。

自分が上にあがっていくことの喜び。
いつまでも、好きであった自分自身を失わないでいられれば幸福なのですが
多寡はあれ、周囲の期待に応える自分を演じてしまい、
反面で本来の自分をなくしていってしまうこともあるかもしれません。

経済的に裕福になっていく喜び。
反面ではそれを失うことへの焦燥感、誰もが本来は嫌うエゴや妬み、
守ろうとするだけの窮屈な生活を感じてしまうかもしれません。


反対に、

いま、孤独であるひと。
周囲からの干渉を受けず、惑わされず、世界で一番大切な自分自身に向き合える
とても貴重な時期なのかもしれません。
人生とは、たぶん自分自身をどれだけ知って、どれだけのことを残せるのかで、
価値がかわるのかもしれません(もちろん、それは他人が認めないことであっても)。
周囲に友人知人の多い人は、自分を見失ってしまいがちです。
一番大切な自分を、観察できる時間って、実は一番貴重なことではないかと思います。

周りから認められない人。
悲しみや人の心の痛みや苦しみを身を以て知れる人。
絶対的に言えることは、人の傷を感じない人に成功者はいないということ。
自分に痛みを感じる人だけが、他人の痛みを感じられるということ。
自分という人の価値を高めるには、とても貴重な時間ではないでしょうか?

経済的に困窮している人。
ファイナンシャルプランナーが言うのもおかしいのかもしれませんが
ファイナンシャルプランナーだからこそ言いたい。
ちょっとした日常生活に感じる幸福の多さは、決して経済には比例しない。
人生においての財産は、決して金銭的財産だけではないです。
人とのふれあい、自分の社会的な満足感、ささいなことで感じる充足感、
堅い言葉でいえば、社会的、文化的財産もまた、人の財産だと思います。
金銭的財産に恵まれた人がそれに鈍感になるとはいえないけれど、
人の幸せは、朝目覚めてやることがあって、三食食べれて寝る場所があって、
そして眠る前に、明日も朝日が見れるように願うことではないかと思います。
経済的な富に追われて一喜一憂するのではなく、
むしろ経済的な財産を超越して、様々な富を実感できる暮らしにあることが幸せであって
そういうことを気づいていただけるようにするのが、
ファイナンシャルプランナーの使命ではないかと感じています。



私の好きな人生観に、それを四季であらわすのがあります。


幼少期=漆黒の冬
精神的な幼少期はまさに冬の時期。
何もわからぬ、悩まぬ自由の裏腹で、何もわからぬ恐怖をぬぐえない時期。
人生の終わりや、この大地の果て、宇宙の端にすら怖くて眠れない時期。
自分すらも感じる事の出来ないとても不幸な時期。

青年期=青い春
ようやく人との交わりや自分の将来に期待を持てる時期。青春。
ただ、自我が確立していないので、フラフラと周りにながされてしまい、
そのたびに大きな傷を持ってしまう時期

壮年期=赤い夏
肉体的に人生のピーク。やりたいことがあれば努力次第で実現できる時期。
自分を信じて行動することができれば、まさにいまがピークと充実できる時期。
ただ、周囲や世界と、自分との間に葛藤を感じる時期。
そうありたいと願う自分と、周りからの評価に、もっともあえいでしまう時期。
人生に悲哀を感じてしまうことの多い時期でもある。

老年期=白い秋
白秋。自分のこと、この世のこと、死後のことすら、達観した考えが持てる時期。
まさに北原白秋が、生涯を通じて求めていた時期でもあります。
人生の集大成でもある時期で、精神的に最も充実している時期。
この時に、黒い冬の幼少期の時代に恐怖を感じていた、「限りある時間」に対して
自分なりの答えを見つけられていれば、この人生が素晴らしいものであったと、
「死」があらたな始まりの第一歩であったと感じることがきるかもしれない。

個人的には、すべての事象は「偶然」の集まりにすぎないかもしれない
(必然とか運命なんてない)けど、
回り巡ってきた偶然の環境を、どのようにして自分を高めるための環境に変えてきたかが、
人生なのかと語れるようになっていたい。




春夏秋冬ではなく、古い中国の冬春夏秋の考え方です。
ですが、私は人生の終末期に向かって、登り坂にあるこういう思想が好きです。
人生とは、真っ黒い冬から始まって、青や赤に染まりながらも
最期の瞬間に向かうまで限りなく真っ白で一番良い状態に近づいていくって考え、
とても素敵じゃありませんか?


さて、ニッポンは、もしかしたら登り坂を超えて、下山の途にあるのかもしれません。
ただ、でもそこには美しさや粋があると思います。
私たちは、一部の人を除き、このニッポンで生涯暮らしていくわけです。
この途にある中で、別の次元での幸福観としていかにニッポンの価値を高めていくか、
また、大それた考えでなく、ひとりひとりの暮らしをよいものにしていけるかは、
考え方ひとつではないかと思います。


若者、いわゆるニート、悩める中高年、これから日本の半数近くを占める(前期)高齢者、
それぞれが悩みを持ちますが、その悩みの裏側にある別の次元の幸せに目を向けたい。

人にはそれぞれ、価値のある生活感があって、それは誰にも侵害できない。

電車の中を見渡せば、
おっきな口を開けてネクタイを緩めてだらしなくおじさん、
でもそのおじさんには守るべき大切なものがあって毎日必死で頑張ってる。
席が空いているのに、凛とした姿勢で吊革に掴まってる初老の婦人、
疲れていても人前ではそれをみせない自尊の考え方がある・・。

人それぞれに異なる価値をもって生活をされているのだと思います。

幸福続きとか不幸続きのように、タイムラグはあるかもしれないけど
幸せの総量は生まれてから死ぬまで変わらないものであると、
上手くいっている時は足元をみつめ、
上手くいってない時は顔を上げた視線の先を信じることができるよう、
私自身も頑張っていきたいと思います。




さて、このブログは今回を以て卒業とさせて頂きます。
これまで読んで頂いた皆さま、ありがとうございます。そしてすみません。
閉鎖の理由は、いつからか、ちょっと自分の中の位置づけが中途半端になってしまったこと。

これからも、FPとして発信していきたいことは山ほどあります。
それは、いま途上にあります以下でこれから積極的に発信したいと思ってます。
社会的起業の野望も着々と持ってはいるので、こちらで適宜更新したいです。
時々、更新されてるか見に来てやってください。

http://www.shinichi-inoue.com/

また、各所でコラムも適宜、執筆させて頂いてます。
そちらでも見つけてやってください。


そして、「ひとりごと」については、どうにも素性が知れるのが恥ずかしいので
ひっそりと、別の裏ブログで淡々とやっていきたいと思います(笑)。
これについてはご勘弁を・・・。たぶん、もはや素性がバレることはないかと(笑)



最後に、

どのような境遇の方でも、一部の方を除けば、
これからもこの国で暮らしていくはずです。

ニッポンで明るく生きる

そのための、それぞれの価値ある生活を、
そしてその気付きや応援を、本当にささやかながらですが、
限られた時間の限りおこなっていければ、
それはそれで幸せだなと感じていければと思ってます。







  

  • Posted by いのいの at 04:18Comments(0)ひとりごと